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受難週間 新約聖書3

バッハの有名なオラトリオに「マタイ受難曲」といわれる作品がありますが、これを「マタイという人が受難(苦しみ)を受けた」話だと勘違いしている方も多いのではないかと思います。ここでいう受難というのは、イエス・キリストの苦しみと十字架での死を意味するので、マタイはその書記者でしかありません。同じバッハの作品には「ヨハネ受難曲」もあり、こちらはヨハネによる福音書の記載から物語を(楽曲を)構成したものです。

共観福音書の記述はマルコが元になっているので、マルコの記述が一番短く簡潔にかかれていて、おすすめはとマルコの14章辺りから通して読むのが楽です。ただ、前回の表で括弧書きにしましたが、14章の51、52のエピソード <一人の若者逃げる> だけが、他の福音書にありません。このことから、この若者こそが「マルコ」自身ではないかと言われています。

画家なども、ときどき聖書を場面にした壮大な画面の一部の自分の自画像をちょこっと混ぜていたりすることがあります。福音書記者のマルコもそうした気持ちがあったのかもしれません。あるいは、彼が信仰に触れた最初の強いインパクトをどうしても書いておきたかったのかもしれません。いえいえ、聖書の著者は神様ご自身ですから、その御旨だったのでしょう(と教会では教えています)。

一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布
     を捨てて裸で逃げてしまった。 
(新共同訳93ページ)

なかなかリアルな描写でしょう?逮捕されたあと、他の弟子たちは逃げてしまってイエスは最高法院での裁判を受けるために大祭司のところへ連行されていくという場面です。イエスの後ろにうろうろしている若者は<当局>からみたらうさん臭い<シンパ>と思われたのでしょう。しかも、正真正銘のイエスの弟子といわれていた人たちはみな逃げてしまっていたのですから、この亜麻布の若者は特別に目立ったかもしれません。

そこで、警官に「おい、そこの!何者だ」とか言われて、かといって、その若者は本当に信者であったわけではなかったのでしょうから、いわれなき嫌疑をかけられることを恐れて、逃げてしまった。警官が彼の衣服に手をかけて引き戻そうとしたのかもしれません。その唯一身にまとっていた布を捨てて、裸になってまで逃げて行ったという描写には、リアリティーがあります。

このような箇所には、聖書の「理屈」抜きで物語として楽しめる要素があり、ある意味で、神学者の書いた文章ではないことが、布教に成功している理由かと思われます。このような楽しい発見もいくつかありますが、まず最後の晩餐(聖木よう日)にもどって、われわれは、受難の箇所をもう少し細かく読んで行きたいと思います。
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受難週間 新約聖書2

共同訳のマタイによる福音書を中心に受難に関する部分を取り出してみました。他の福音書の平行箇所の記載も共同訳によります。エピソードによっては、ヨハネになかったりしますが、これは、ヨハネだけが「共観福音書」ではないといわれる所以でもあります。マルコ(元マルコ)が最古の記録とされ、それにそれぞれの共同体の思惑などが重なって加筆訂正されたのがマタイとルカ、ヨハネは独自の文学であると言われています。



過越の食事をする
マタイ 26.17
マルコ 14.12−21
ルカ  22 7−14
ヨハネ 13 21−30

主の晩餐
マタイ 26.16
マルコ 14.22−26
ルカ  22.15−20
ヨハネ 
コリント1 11 23−25

ペトロの離反を予告する
マタイ 26.31
マルコ 14.27−31
ルカ  22.31−34
ヨハネ 13.36−38

ゲッセマネで祈る
マタイ 26.36
マルコ 14.32−42
ルカ  22.39ー46
ヨハネ

裏切られ、逮捕される
マタイ 26.47
マルコ 14.43−50
ルカ  22.47−53
ヨハネ 18.3−12

(一人の若者、逃げる)
マルコ 14.51−52

最高法院で裁判を受ける
マタイ 26.57
マルコ 14.53−65
ルカ 22 54−55。 63−71
ヨハネ 18.13−14 19−24

ペトロ、イエスを知らないと言う
マタイ 26.69
マルコ 14.66−72
ルカ  22.56−62
ヨハネ 18.15−18 25−27

ピラトに引き渡される
マタイ 27.1−
マルコ 15.1−5
ルカ 23.1−2
ヨハネ 18.28−32

ユダ、自殺する
マタイ27.3ー
使徒 1.18−19

ピラトから尋問される
マタイ27。11
マルコ 15.2−5
ルカ  23.3−5
ヨハネ 18.33−38

死刑の判決を受ける
マタイ 27.15
マルコ 15.6−15
ルカ  23.13−25
ヨハネ 18.39− 19.16

兵士から侮辱される
マタイ 27.27
マルコ 15.16−20
ルカ
ヨハネ 19.2−3

十字架につけられる
マタイ 27。32
マルコ 15.21−32
ルカ 23。26−43
ヨハネ 19.17−27

イエスの死
マタイ 27.45
マルコ 15.33−41
ルカ 23.44−49
ヨハネ 19.28−30

墓に葬られる
マタイ 27.57
マルコ 15。42−47
ルカ 23.50−56
ヨハネ 19.38−42

番兵、墓を見張る
マタイ 27.62
マルコ
ルカ
ヨハネ

復活する
マタイ 28.1
マルコ 16.1−8
ルカ  24.1−12
ヨハネ 20.1−10

番兵報告する
マタイ 28.11
マルコ
ルカ
ヨハネ

弟子を派遣する
マルコ28.16−20
マルコ16.14−18
ルカ 24.36−49
ヨハネ 20.19−23
使徒 1.6−8


受難週間 新約聖書1

さて、先々週の日よう日はイースター、復活祭でした。
歳時記のコーナーでは、ドイツの季節とお祭りと風物を紹介する予定ですが、なぜかこのところ押せ押せになっていて、報告が遅れてしまいもうしわけありません。

がんばって、受難週間にさかのぼってぼちぼちと書いていこうと思いますので、気長におつきあいください。三週間遅れでとどいた週刊誌をごらんになるようなつもりで。

ちょっとだけその前に聖書のことを書いておきます。

新約聖書はキリスト教の聖典でありますが、それはいくつかの書物の集大成という形をなしています。著者は「神様」ということになっているので、神様の言葉を聞いて書いた人たちは、「書記者」であるとされます。特に、「福音書」という最初の4つの書物は、マタイ(マティアス、マテオス、マチュー)、マルコ(マーク、マルコス)、ルカ(ルーカス)ヨハネ(ヨハネス、ジョン、ヤン、ホアン)の4人の福音書者がいます。新約聖書の聖典を決定する会議があり、それに漏れた作品もいくつかあるのですが、有名なものにはトマスの福音書などというのもあります。しかし、聖典としては受け入れられなかったので、現在、一般に手にとる新約聖書にはこの4つの福音書と使徒行伝(使徒行録、使徒言行録、使徒の働き、初代教会の働きなど訳語はさまざま)がセットで「歴史的」な部分とされています。
そのあとに使徒から初代教会の信徒に宛てた手紙という形の文書が続きます。こちらは、ほとんどがパウロの書いたものとされていますが、他にペトロ、ヨハネなど12使徒のメンバーも名前をつらねています。そして、黙示録という全く別の文学形体があります。さしあたって、受難週間から復活祭そして昇天祭、聖霊降臨という一連のイベントに関連があるのは、福音書と使徒行伝なので、この部分についてちょっと見てみましょう。

ふわりPさん 6

ドイツとか、ミュンヘンとかそういう話をある程度は情報として伝えようとしてはじめたブログなのだけど、なぜかボカロ。それも、ふわりPさんの4作目「またあした」で止まってしまった。とはいえ、今はじっくりと考えたいので、先に進まないことにした。ふわりPさんの公開されている作品はまだそれほど多くはないから、こんなゆっくりのペースでも大丈夫だと思う。まあ、なにも全部書かなくてはいけないというきまりがあるわけじゃないし、。ほかのPさんには、まだ手をだしていないから、この先どう連載するかは全然わからない。

さて、今日はゲッカヨの楽譜をみながら歌ったり、ピアノ叩いたりしていて気がついたこと。
案外、コードは巡回コードで単純なのだけど、ときどき異分子が混ざり込むから、不思議な曲になっている。それから、繰り返しがおもしろい。

多くの楽曲はたぶん
Aという部分があって、そのAを繰り返す。そのあと、Bという部分がきて、また Aがくる。という 三部形式。
とか、A B A C A B Aのロンドみたいに、Aが何度も来るとか。
AB(提示部)場合によっては繰り返す。 AかBの変調とかバリエーション(展開部) そしてまたAとBからなる(再現部)というソナタ形式。展開部と再現部はほぼ同じというのか、再現なので、A B Aダッシュ なのだと考えることもできる。ただ、主題が2つとか3つ絡み合っているから複雑になる。

こんな古典音楽の形式から発展して多くの歌曲が作られて来ているから、形式は案外昔から単純だったりする。「さび」などと言われる山場があり、その部分はなんども同じような歌詞でリフレーンするので、覚えやすい。たとえばカラオケなんかで、出だしは全然わからなくてうまく歌えなくても、さびのところは全員で大コーラスになったりすることがある。

ところが、この「またあした」ですが、楽譜をよくにらむと、<さび>がないのだ。歌詞の段落をもとに、いちおう私なりに形式を区切ってみた。
A あたたかいスープをのんで
B よぞらにひかる
A いつのまにかさむくなって
B オレンジいろの
C ながいながい
D つないでく 手とてのかず
Bの転調 だんだんとほら 最後らららが挿入されてエンディング

Bあるいは、最後のBの転調が<さび>といえば <さび>なのかもしれないが、どちらかというと、C から D のところが テンポ感もなにからなにまでどんどん進んで行く感じで、この曲の山場に思える。しかも、歌うのが難し箇所。

そんなことが、この曲の歌いにくさとか、大衆受けしないだろうなという部分なのかもしれないと思った。また、コードのこと考えると、いちおう変ホ長調とすると E♭ A♭ B♭ Cm がくりかえして安定しているのだけど、そのあとに、Cm7とかB♭sus4 とかA♭add9 とかいうコジャレタコードが出てくる。
C部分とD部分は、たぶんゲッカヨの譜面間違っていると思う。不思議なコード進行なので、なんとも言えないが。

最近はピアノをギターのように弾くある方の奏法を習い、初見でもコードがあると弾き語りの真似ができるようになった。変ホなんて♭3つもあるので、昔ならひーひーいっていたけど、今はへっちゃら。とはいえ、この曲はそういう意味じゃなくてやはり難しい。変ホからシャープ4つのホ長調変調する前の Dの部分ですでに奇妙なコード展開になっている。最後はBとほぼ同じメロディーだがへ長調になる。その変調するところも上のEから下のCにさがってまたあがるのが大変。どうしても音痴になる。

そういう難しさをミクさんは何気なく、歌いこなしてしまう。
もちろん、そこには、ミクさんが音楽ソフトだから出来ることもあるけど、このPさんの実力というのか、調教のうまさもあるのでしょう。

楽譜が見たい方は、ぜひゲッカヨ2011年3月号をご購入ください。

テーマ : ボーカロイド
ジャンル : 音楽

ふわりPさん 5

このシリーズ、4でちょっと止まってしまったのは、4作目の「またあした」が自分にとって非常に思うところが多い曲だったのだけど、実際に購入できる音源がなく、ネットでニコ動とかUチューブを開くしか方法がなかったこともある。もうちょっと聞き込んでコメントを追加したいと思った。

3作目の「ふわりクレヨン」はmp3を購入することができて、iTune で会社のPC、自宅のPC、iPhone、iPad全部にダウンロードしている。先週は、最終原稿の受け渡しとかなんとか外出が多く、移動中も、iPhoneで繰り返し聞いていた。このブログの<ふわりpさん 3>を書いたとき以上にいろいろ発見があって、そのこともまとめて書きたかった。

さらに書くのが止まった理由としては、「またあした」は自分にとって大切な曲というだけでなく、「げっかよ」という雑誌で楽譜が公開されているために、他の楽曲よりも資料が一つ多い。わたしの手元にその「げっかよ」が届いたのはわりと最近のことで、それを元になんとか再現してみたいと画策している途中でもある。スローではじまるので、カラオケバージョンで「うたってみる」もチャレンジしてみた。が、こちらは、見事玉砕。生でながして、生で録音(AudiCityの無料ソフトを使用)したので、音量とかも大変なことになってしまった。もちろん!歌唱力の問題はもちろん!大きいですが。

多くの方達が、「うたってみる」にチャレンジしていて、見るからには、ボカロPさんがネットに公開している「カラオケ」のバージョンをつかって、動画はそのままで、カラオケの音源もそのままで、それに「自分の歌」を重ねているように思える。そういう技術というのか、ソフトとかなんとか、あるのだろうけど、ちっと自分には無理そうだったので、画面で流しながら、AudiCityの録音ボタンをぽっちんして、とにかく「うたってみた」のであります。

歌はほんとーーーに難しい。絶対に音程が変になる箇所が数カ所。これは、ひとえにこのPさんの楽曲作りに端を発するというか、もっと言えばボカロ音楽の秘密の鍵の一つのようにも思える。昔の(60年代、70年代の)多くのシンガーソングライターは、歌詞を書いて、ギターでコードをつけながら「弾き語り」して曲を作っていたと思う。また、音楽のほうが先にできて、それに歌詞をつけるという人もいた。ピアノなど別の楽器でメロディーとコードを作ってしまって歌をのせる人もいた。が、ピアノというわりと子供のころからやってないと難しい(特に和音を作ったり転調などするのは)楽器とちがって、ギターはコードが弾けると曲が弾ける。メロディーは歌う。だから、コードとメロディーが作りやすい。

自分もピアノは弾くけれど、楽譜がないとだめ。かろうじて「ねこふんじゃった」だけは楽譜なしで弾ける。あとは、左(コード)と右(メロディー)がどうも覚えられない。というか、覚えられなかった。だから、完璧に楽譜があればなんとか記憶しないでも、その場で弾くことができるのだが、耳コピーのように知っている曲をふらっと弾くということは難しい。

歌の歌詞があるということは、「歌う」ことが前提になっていて、そういう楽曲は器楽曲とちがって、わりとわかりやすい構成になっている。歌詞に特徴があれば覚えやすい。ギターで歌っているとコードがなっているので、音程が取りやすいという利点もある。

が、このボカロ音楽は、いったいどこでどう転調するのかがさっぱりわからない。機械だから、自由自在に転調が出来てしまうという利点なのだろうか。しかも、人間の声では限界になるほどの音域とか(とくに高音域)が使用されていることが多い。だからといって一オクターブ下げて歌おうとすると今度は下が苦しい。つまりは、普通の人には歌えないような「難しい」曲が出来てしまう。作曲者本人さえも歌えない曲でもできてしまう可能性がある。

それなのに、「難しさ」をちっとも感じさせない。耳障りのいい、とても、きれいなメロディーラインの楽曲であったりする。一昔前の「現代音楽」にあるような不協和音とか、十二音とか、そういう理屈で作った実験的な音楽の不自然さ、もっと言えば不快ですらあるものが、「本当の美」として芸術として評価されていた時代の音楽とは対局にある。心地よさを引き出す楽曲であるにも関わらず、難しい。覚えやすいメロディーであっても、実際歌おうとすると難しかったりするのだ。

もしかしたら、それゆえに、これほど美しく感動的であるにも関わらず、メジャーなヒットソングになりにくいという宿命を持っているかもしれない。メジャーなというのは、テレビのCMやドラマに使われて、町のカラオケ屋さんでみんなが気軽に歌うとか、ライブハウスでコピーバンドがでるとかそいういう意味でのヒットソングになりにくい楽曲のような気がしている。

ボカロについてのわたしの興味はまだはじまったばかりだけれど、もう少しおつきあいいただいて、どなたか識者なり先輩がたのご意見を伺えればと思っています。
コメントお待ちしています。

テーマ : ボーカロイド
ジャンル : 音楽

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プロフィール

Kei Shirasaka

Author:Kei Shirasaka
単行本は「いいね!ミュンヘン」以降、出してません。紙媒体にするよりは、ブログとか情報はデジタルでいいかな、って思う今日この頃です。しらないうちに人生の半分以上を過ごしています。最初は1年で東京の生活にもどるつもりだったのですけどね。人生わからない。

子どものころから、英語は本当に苦手、白人の方はご遠慮ください!という人でした。海外に住みたかったわけじゃないし、やはり、縁があるというのか、人と自然に恵まれていたからでしょうか。「わたしには」ミュンヘンがいいね!であります。

普段はいたって実用的な本を作っていますが、言いたいこと、書きたいことは山ほどあるので、ぼちぼちと語っていこうかと思っております。

饒舌ならぬ 饒筆 にて失礼いたします。あしからず。

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